いつもありがとうございます。
このブログは、3日目のブログに引き続き、どんちゃんに同行した
エリーが書かせていただきます。
(このツアーは、株式会社ウォンツの貧困支援事業の一環です)
どんちゃんのフィリピンスタディーツアー4日目、2015年3月26日(木)は、
サンチャゴ要塞とトンド地区を訪問しました。
サンチャゴ要塞は、トンド地区から5kmほど南下したところにあります。
移動中、建物のそばにビニールシートを斜めにかけて屋根にしてある家を
たくさん見かけました。
ビニールが飛んでいかないように大きい石で押さえてあります。
安心して眠れないであろうこの場所に、どのくらいお住まいなのでしょう。
身体を壊したりしていないか、心配になります。
サンチャゴ要塞は、第二次世界大戦中に日本兵が占領しており、
600名のフィリピン人捕虜を大量虐殺したという残酷な歴史がある場所です。
捕虜たちは、地下牢に閉じ込められ、
すぐそばのパッシグ川の水が満潮を迎えるときに水死させられました。
日本人として知っておかなければならない歴史だと思いました。
壁には銃弾の痕が無数にあり、激しい戦いの場所であったことが分かります。
第二次世界大戦中に使われたものであろうと思われる、
爆薬なども展示してありました。
この奥の建物にも、大砲の大きな痕が残っています。
残酷で不幸な環境で、辛く苦しい思いをしたご先祖様の歴史を知り、
「二度と戦争を繰り返してはいけない」と、改めて深く心に刻みました。
さらに、スペインからの独立を訴えたフィリピンの国民的英雄ホセ・リサールが、
処刑までの2ヶ月間、投獄された場所でもあります。
ここが彼の独房です。
彼が処刑される日、この独房から処刑台まで歩いた足跡が記されていました。
歩幅が狭いのは、足を鎖で縛られていたためです。
彼の存在のおかげで、今のフィリピンが存在していることを学びました。
午後からは、トンド地区へ訪問しました。
トンド地区は、アジア最大のスラム街とも言われている地区です。
スモーキーマウンテンという名で有名なゴミ山(廃棄物投棄場)があり、
かつてはここでも多くの人々がゴミを拾って生計を立てていました。
貧困地域として世界的に有名になってしまい、国のイメージが悪くなると
考えた政府は、スモーキーマウンテンを閉鎖しました。
そのため、ゴミ山のそばで暮らしていた住民は強制退去させられました。
最近治安が悪くて危険だという話もあり、NGOの介入が減ったようです。
私たちはNGOアクセスの日本人スタッフさんと一緒に行動していましたが、
トンド地区の中の人が一緒にいる方が 安心だということで、
ここからはこの地区で生まれ育ったNGOアクセスのスタッフさんも加わり、
案内してくださいました。
村の中は、ゴミを集めている場所がたくさんあり、
舗装されていない凸凹の路上にもあちこちにゴミが落ちていました。
どこが玄関か分からないほどゴミに囲まれた建物や、独特なゴミの臭い、
村に入ったときはこれまで見たこともない光景と雰囲気に、
正直とても動揺しました。
私たちが歩いていると、子どもたちが集まってきてくれて
笑顔で「ハロー!」と声をかけてくれましたが、
私は「ハロー」と笑顔で返すことが精一杯でした。
たくさん歩きましたが、どこも似たような景色で、
一人で歩くとすぐ迷子になりそうでした。
子どもたちが遊んでいる広場では、とっても賑やかでした。
でも、その環境があまりに危険で、衝撃を受けました。
裸足でおにごっこをして大笑いする子どもたち
落ちているゴミをおもちゃにして遊ぶ子どもたち
裸で地面に座り込んで、一人で砂遊びをする赤ちゃんもいました。
この環境で生まれ育った彼らの中ではこれが普通の暮らしであり、
家族と苦楽を共にして、毎日を精一杯生きているのでしょうし、
幸せの定義はぞれぞれが決めること・・・とはわかっているのですが・・・
日本の生活に慣れている私にはやはり、身体を守るために服を着ること、
靴を履くこと、病気にならないように 身体を洗うこと、
栄養のあるものを食べることなど、健康に生きるための環境が必要ではないか、
そういうことを大人も子どもも学べる仕組みが必要なのではないかなと感じました。
家庭訪問に伺い、お母さん(49歳)とお父さん(58歳)に
お話を聞かせていただきました。
食事は毎日、ゴミの中から食べ残しを探してきて、炒めなおしたり、
揚げなおしたりして食べている という話しを聞いて私はかなり驚きました。
でも、ここで驚いたら失礼だと思い、驚いていない顔をしてうなずくことに
必死でした。。
毎日の食事が食べ残しなので、ゴミが少なく、食べ残しが見つからないと
おかずがなく、ごはんだけを食べるそうです。
今はゴミが思うように集まらずに苦労しているそうで、現金収入も、
食材もなく、これまでの人生で一番苦しい時期だとおっしゃっていました。
お母さんの腕の中で眠っている女の子は、よく喘息の発作があるそうで、
心配だとおっしゃっていました。
お母さんの涙から厳しい生活の様子がひしひしと伝わってきて、
とても辛くなりました。
そのとき、どんちゃんが
「辛いですね。気持ちが分かります。僕も子どもが5人いるんです。」
と言い、子育ての話をしました。
すると、お父さんもお母さんも顔を上げて、どんちゃんの顔を見て優しく微笑み、
うなずきました。
警戒心が無くなり、心を開いてくれたような表情でした。
どんちゃんから心を開くことで、お父さんもお母さんも心を開いてくれたのです。
お母さんは大変な日々の中でも、子どもと一緒にいるときは、
一息ついて気持ちが落ち着くんだとおっしゃっていました。
子どもが癒しになっているというお話に、とてもあたたかい気持ちになりました。
続いて、66歳の女性の家庭にお邪魔しました。
今は、一人のお孫さん(22歳)と一緒に暮らしているそうなのですが、
学校に途中で行かなくなってしまい、まだ小学校5年生のままだそうです。
なんとか、学校を続けて欲しいそうですが、今から通い直すとすると、
子どもたちと年齢の差もあるし、行きたがらないから困っていると
おっしゃっていました。
これまでの人生についてもお話してくださいました。
16歳のときに42歳のだんなさんと結婚し、9人の子どもを産んだそうです。
なんと現在、お孫さんが38人もいるそうです!!
これには驚きました!^^
「子育ても苦労したし、孫のお世話にも苦労したんだよ〜!
でも、賑やかだよ〜!」と笑い飛ばす、明るくて素敵な女性でした。
ずっとニコニコしながらお話をしてくださる様子を見ながら、
私もこんな人になりたいと思いました。
NGOアクセスは、2006年からスモーキーマウンテンのそばに
多目的保健センターを設置し、「保健衛生プログラム」を
実施しておられましたが、2013年にセンターがギャングに乗っ取られ、
活動が中止となってしまったそうです。
現在は、地域の未来を担うリーダーを育てるために
10代〜20代の若者の活動をバックアップする
「青年会プロジェクト」を行っていらっしゃるそうです。
私たちもアクセスの皆さんと協力してトンドで暮らす人々に
喜んでもらえるよう、何かできることをしたいと思いました。
今回のフィリピンでのスタディーツアーで見たこと、聴いたことは
私の知らない世界ばかりでした。
今後もまずは知ることを第一歩として、私たちにできることを考えていきたいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
※このスタディーツアーで学んだことは、
一途の学校ライブで日本の子どもたちにも伝えたいと考えています。