一途 思い出のカラオケボックスにさよならしました

いつもありがとうございます。

このトラックで運ばれて行くものは、古い古いカラオケボックスです。

当社の駐車場にあったものです。

これは、教材制作会社ウォンツが、昼夜問わずに撮影に明け暮れた場所。
(ウォンツとは、私たち3兄妹が創業した会社です)

それまでは、自宅や社屋(賃貸)の一室を撮影室としていたのですが、
トラックが走るたびその音のために撮影を中断、
もしくは撮り直しをせねばならずなかなかスムーズに撮影はできませんでした。

そこで、広島県から買い付けたカラオケボックス。

当時の私たちには相当高額でしたが、「防音」という魅惑的なフレーズに意を決し、
思い切った買い物をしたのです。 ベンチャー企業として、毎日が火の車だったあの頃、
スタッフ全員が
 「1分でも早く撮影し、1分でも早く商品化する!」
と連日連夜必死に働きました。

カラオケボックスに直接関係する仕事だけをあげますと、
ウォンツのメイン講師だったくまちゃんは、
出社するなり撮影室という名のカラオケボックスに籠もり、
深夜にヨレヨレになりながら帰宅。

私は目の下にクマを何匹も飼いながらくまちゃんが話す
台本を朝から晩まで何万字と書きまくり、
どんちゃんは、出来上がった教材を販売するため全国へと営業に飛び回りました。

ある時は、どんちゃんが「どんまい先生」としてこのカラオケボックスに籠もり、
正月だろうが高熱だろうが寝違えていようが、撮影をしてくれた時もありました。

またある時は、くまちゃんが音が反響しないようにと毛布をあちこちにぶら下げ、
自然な声で録れるよう工夫をこらしてくれた時もありました。

またある時は、私が「もっといい撮影方法がないか?」
とこっそり試行錯誤してみたこともありました。

ゾンビ先生や、ふくめん先生、宇宙人先生、
ユニークな講師たちがこのカラオケボックススタジオで生まれ、
教材となって全国に販売されていきました。

やがて新社屋を建て、完全防音のスタジオも作り、
そのカラオケボックスは使わなくなりました。

しかし「ハイ、これまでよ」とおさらばすることはできず、
物置として駐車場に置いて使用していたのですが、
いつしか中にカビがはえ、床はフカフカになり、
使用不可能になって、ただ「置いてあるだけ」のものになりました。

やがてウォンツにもスタッフが増え、駐車場も手狭になってきました。

カラオケボックスをどかせば、1台駐車場が増えることになります。

どんちゃんが 「そろそろ、さよならするか」 とつぶやき、
くまちゃんと私はだまって頷きました。

そして2月1日、初期メンバーが集まってお酒で清め、心からお礼を伝え、
記念写真をとり、翌々日、撤去されました。

私たちがあの時全力で働いた場所がなくなる寂しさは、思いのほか強烈で、
思わず合掌し、ただただお礼を言うしかありませんでした。

 守ってくれて、ありがとう。

 私たちを生かしてくれて、ありがとう。

思い出の物が壊れたり、消えてしまったりする経験は何度かあるのですが、
このカラオケボックスがなくなることは想像以上の喪失感でした。

でも、あの頃と比べたら倍以上の数になっているスタッフたちと、
あの頃とは違った新しいサービスを提供すべく、日々奮闘できることが、
ちゃんと新しいステージに立てているのだと感じています。

「形あるものはいつかなくなる」と言いますが、
あのガムシャラ時代を支えてくれたカラオケボックスとの記念写真を飾り、
記憶からはなくさないようにしたいと思います。

私たちと一緒にウォンツ黎明期を駆け抜けてくれたカラオケボックスに、

心からの感謝を捧げます。

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