3日目その1:石巻市、女川、南三陸の見学に行きました

いつもありがとうございます。

8月15日(木)は今回のツアーの最終日です!

石巻市役所へは昼過ぎ、南境の夏祭りは夕方から、ということで、
朝早起きをして、スタッフに被災地の現状を見てもらうべく、
あちこちへと行ってきました。

まずは、日和山に登りました。

石ノ森萬画館をはじめ、石巻市の海岸側が見渡せる山です。

日和山幼稚園もあり、すぐ下には門脇小学校もあります。

当時は海岸側から流されて来た車や家などがこの小学校にぶつかって出火し、
大きな火災となって門脇小学校も真っ黒に焼けこげました。

日和山幼稚園では、送迎バスに乗って町へと向かった時に津波に押し流され、
子たちの「助けて」の声もむなしく、がれきに埋もれたまま火災に遭い、
亡くなっています。

燃え尽きたまま放置された車がありました。

復興をめざす決意表明と慰霊の場も作られていて、
そこには泣きながらお線香を手向ける方もおられ、
私たちも合掌させていただきました。

ここは津波の高さが6.9mで、その高さを示す塔も建てられていました。

付近の被災前と被災後の写真も掲示されていました。

女川に向かう途中にも、
ぐしゃぐしゃになった車やがれきの山が残っていました。

次は女川にある、町立病院へ行きました。

海抜16mの山の上にある病院です。

駐車場から見下ろすとこんな感じで、
かなり高いところにある病院だとお分かりいただけるかと思います。

避難場所にもなっていたのですが、襲って来た津波の高さは20m。

1階まで水に浸かりました。

その駐車場から見た、現在の景色がこちらです。

病院裏にある坂道からも水が押し寄せ、
前からも後ろからも津波が押し寄せるという結果になったそうです。

去年の8月にライブをさせていただいたときお世話になった方がいるお店にも行って、
ご挨拶をしました。

元気そうな奥様に会えて嬉しかったです!

引き続き山道を通って、大川小学校へと向かいました。

108人中、74人もの児童が亡くなったり行方不明になった学校です。

去年はなかった慰霊碑が建てられ、
そこには亡くなった地域の方々のお名前や年齢が刻まれていました。

たくさんの方々がただ黙って合掌をして祈りを捧げており、
私もその中に加わりました。

海岸線沿いを走って、再び南三陸町へと車を走らせますが、
行けども行けども、草原が続きます。

草原にはかつて家があり、スーパーや喫茶店があり、
コンビニも薬局も学校も、ごくごく普通にあった場所です。

以前来たときには、家の基礎が見える場所もありましたが、
今は背の高い草が生い茂っていました。

海岸線沿いにあった10を越える町や村、
そして学校も消滅してしまったのです。

途中、吉浜小学校があった場所に立ち寄りました。

去年の8月はここに体育館の骨組みだけがのこり、
ちぎれたカーテンなどがひっかかるようにして残っていた場所ですが、
すべて撤去されたようでした。

慰霊碑を読むと、教師1名と児童7名の命が失われたとのことで、
こちらでも合掌をさせていただきました。

こんな悲劇があっても、海岸沿いの同じ場所に家を建てたり、
会社を作ったりしている方々もおられ、強さを感じるとともに、
嘆くばかりじゃダメだという気持ちにもさせてもらいました。

そんなことを考えながら車に乗り、2年以上前の震災の傷跡を見て、
被災当時のことを想像して、恐怖に包まれながら自分の身体に感じるのは、
なんと、空腹です。

はっきり言って、笑えません・・・。

このギャップに自分自身驚かされます。

どんなに衝撃を受けても、お腹は空くし、眠たくもなってしまうのだと。

私の肉体は生きているのだと、気づかされる瞬間でもありました。。。

南三陸さんさん商店街近くにあるお店でランチをいただき、
次は防災対策庁舎へと向かいました。

責任感の強い女性が巨大津波を目前にしながら、
死の直前まで、町民に避難するよう呼びかけ続けた場所です。

こちらでも合掌をさせていただきました。

南三陸から次は石巻市へと戻ります。

石巻市長に今回リリースした「団地音頭」をお渡しするためです。

あいにくお休みのため、
秘書広報課の方に鯖江市長からの親書とともにお預けいたしました。

市役所から約10分くらいの場所にある南境へと向かいます。

3日目その2:石巻市南境第7団地夏祭りにて
「団地音頭」を歌わせていただきました♪へと続きます。

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